- 達磨大師
-
2017.03.05 Sunday
日本で達磨さんと親しまれる達磨。
倒れても起き上がる姿を縁起物とし各御家庭に浸透しております。
達磨さんの教えを基にお子様にも目を片方ずつ入れる理由をお話になられる方、又、親御さんや御親族から見聞きされた方が殆どかと思います。
達磨大師←クリックで詳細ページ開きます(古美術希)
達磨大師の特徴は耳に付けられた輪、そして眼差しは鋭く絵画には髭を生やした威風堂々としたお姿が描かれており、それらを見てすぐに「達磨大師だ!」とわかる程、世代を超えて知られる人物です。
さて、達磨大師はインド人だという説は御存知でしょうか。
生まれた年月日には諸説ございまして断言できませんが当時の国王の王子(第三王子)として生まれインドから中国に渡り没地は中国とされております。国王の子として生まれ、なぜ禅の道へ?
般若多羅尊師というお釈迦様の教え(仏法)を継がれた方が国王から宝珠をもらいます。
その宝珠はとても輝いており美しいもの。
そこに居合わせた国王の息子に尊師は「この宝珠より勝るものはこの世にあるかね?」と問います。
兄は「その宝珠に勝るものはないよ♪」と言いますが、やがて達磨大師となる第三王子は
「物である宝珠より仏陀の知慧の方が勝るね♪」と発言します。
これが般若多羅尊師の弟子入りとなる事柄とされており、菩提達磨と命名され尊師の命ある限りつかえました。
それでは、どのタイミングで日本に影響を与えるかを記載します。
達磨は尊師を亡くした後に中国を目指します。仏法を伝える為とされており、この時、既に60歳。中国、南朝の梁(広州/現在香港&マカオ)の始祖である武帝と会話を交わすのですが、その中に当店にご来店された方の一部の顧客様にはお話させて頂いております「功徳」を問う文言がございます。
武帝の「余が多くの寺院を寄進したその功徳は」の問いに対して『無功徳』と発言し、功徳とはなんぞや?というような会話です。
この功徳を基に当店のあり方も開店当初から思案する所であります。
武帝と達磨の会話の内容は色々な分野から発表されておりますので、そちらを御拝読頂き、どのように解釈をするかは皆様方に委ねたいと思います。
武帝は達磨の言葉(無功徳と発した所を指します)が、その時は身に沁みる心情ではなかったのでしょう。
怪訝された武帝に対し、達磨は武帝の表情から武帝とは御縁がなかったと中国に渡ることを決します。
その後、達磨が中国の寺で9年に渡り座禅を組む姿も有名な美術品として現存しております。各時代に描かれ、各地域に残っております。この時の絵画に髭の印象を濃く残す訳です(9年座禅してますからね)
禅宗を広げていく中、当時の中国の僧侶に影響を与えます。
大艦禅師慧能という僧侶が禅宗を更に弟子に伝えていくわけですが、この時、日本から僧侶が中国に渡り臨済宗、曹洞宗などの禅宗五家として日本国内で広がります。
臨済宗で最も歴史が長いのは建仁寺(京都)で(1202年)明菴栄西(1141-1215)が日本に伝えたとされております。
続いて東福寺(京都)(1236年)円爾(1202-1280)
そして、ここ神奈川県鎌倉市に
建長寺(1253年)北条時頼が蘭渓道隆(1213-1278)を中国から招き開山。
円覚寺(1282年)無学祖元(1226-1286)を招き同じく鎌倉で始まります。
続いて各地域に禅宗寺が広がります(詳細は臨済宗でお調べください)
曹洞宗で最も歴史が長いのは永平寺(1244年)(福井県)鎌倉時代の武将波多野義重の要請で道元が開きます。
続いて石川県の真言律宗が現在神奈川県の鶴見区にある總持寺の前進となりますが、こちらは明治44年に寺基移転が行われ、石川県の真言律宗は總持寺祖院と称されております。
*總持寺は神奈川県横浜市鶴見区
達磨大師が丸い形状となったお話は中国の寺で座禅を9年間行った時に手足が腐って無くなってしまったという説が強く言い伝えられておりますが、禅寺では座禅をしているお姿と伝えられております。
手足を省いた状態で達磨大師像が現在、皆様のご自宅にある達磨さんとなったとされております。
(ちなみに達磨さんの弟子入りが叶った方も自ら手を切り落としております。歴史は壮絶です)
サラリと記載してしまった部分が多く恐縮致します。
開業当初から現在に至るまで初心忘るべからず。の想いから達磨大師の功徳を説く文面は店の裏に貼ってあります。
しかし難しいですよね。。。実に。
功徳の解釈も各々異なるニュアンスを含まれますと、禅の基礎とも呼べる言葉で伝達していくものではないという思いも膨らみます。
「コレが、こ〜だから、こ〜なんです」は、実に危うい言動と心得、なるべく解りやすく店頭では御案内できるよう務めさせて頂きます。
*禅のことば 大本山建長寺 本の中で御案内されております「書/作品」の販売は当店で承っております。
風間 敞子(かざましょうこ)建長寺にて僧侶に「書」を教えておられる方とお伝え申し上げます。
達磨大師の教えを日常、目にされる場所に置かれて初心忘るべからず。でお過ごし下さい。
追記
達磨さんに目を入れるようになった訳
子供には=願掛けと教えましょう
大人には=実は江戸時代に商人が打ち出した商戦だった事を店頭でお伝えさせて頂いております。