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漆器の歴史に触れてみます 後編(江戸時代〜大正時代)

縄文〜鎌倉時代←前編はこちら

南北朝〜安土桃山時代←中編はこちら

 

さて、時代を分けてお伝えしており、ようやく後編となりました。

江戸時代(1603〜1867年)

戦国の時代を経て、それまで京都(大阪)が握っていた政権を江戸が奪い取り、この後、長期に渡る江戸、徳川時代の幕開けとなります。

 

文化を軸にお話を進めさせて頂いております。

そこはご了承ください。

 

それまで日本に流入する海外の文化は中国に限られたものでしたが、江戸時代に入りますと長崎県を通じてヨーロッパから西洋文化が日本国内に入って来るようになります。

その文化は、それまで日本の中心として栄えた京都ではなく江戸で開花します。

 

この頃、狩野派は脈々と世代を超えて受け継がれており、狩野派が基礎となる絵画の歴史だけではなく様々な工芸品にも影響を与えるようになります。

この時代に画人を志すものは町狩野(まちがのう)と呼ばれ町人相手に絵を教えるような職を持つ者もおりました。

 

江戸時代の狩野派を受け継いだ画人をそれぞれご紹介します。

 

久隅守景(生没年不明)探幽の弟子(農村生活を描き当時の生活をそのまま描いた 代表作は夕顔棚納涼図屏風)

 

英一蝶(1652-1724)探幽の弟の安信の弟子(当時の都会風俗文化を描写した 代表作は吉原風俗図巻や雨宿り図屏風)

 

しかし、上記記載の両者は狩野派から破門されております。

( )の中に記載したものが破門の大きな理由

 

この破門理由から当時の狩野派の地位確立が確かなものとなっていたことが伺えます。

 

狩野派と並行して社会的権威を持つ画派のご紹介が必要ですので加えます。

 

*土佐派 光吉、光則、光起(1617-91)この代に戦国時代の光元の死後中絶していた宮廷の絵所預職に復帰

 

*住吉派 初代如慶(1599-1670)細密画法を継承/息子の具慶(1631-1705)父の画法を主とし時代感覚を盛り込んだ

 

そして海外でも人気の高い

琳派

土佐派、住吉派とは少々質が異なります。

 

代表する画人は

 

尾形光琳(1658-1716)狩野派を学び俵屋宗達の作品に刺激を受けて代表作が完成

 

(俵屋宗達 松島図屏風、風神雷神図屏風←光琳が衝撃を受ける→尾形光琳 燕子花図屏風、紅白梅図屏風 完成)

 

尾形乾山(1663-1743)光琳の弟 工芸作品も残している

 

この後、光琳、宗達から画人として琳派を受け継ぐ画人によって

 

酒井抱一(1761-1828)狩野派を学び沈南びん風、浮世絵風を描いた後琳派に傾倒、そして代表作夏秋草図屏風完成

 

抱一の後もその画風は受け継がれております。

 

だいぶ人物名を絞り込み記載しましたが、大まかに江戸を彩る画人の代表、核とも呼べる人物は以上です。

(尾形光琳による八橋蒔絵硯箱を東京国立博物館で御覧いただけます)

 

江戸時代の漆工芸作品は上記に記載した尾形乾山による作品が美術館の目玉として展示されることが多く、有名な作品も琳派と共に皆様も展覧会でご覧になられたことがあるかと思います。

 

江戸時代に入りますと、磁器が日本国内に齎され伊万里や九谷が急激に江戸の経済を潤します。

 

ここで、ようやく磁器による器の歴史が始まるのですが、その時代の漆に携わる人はどのような時代の流れの中にいたか、お話させて頂きます。

 

「磁器による器の浸透に負けず劣らずの勢い」

 

江戸時代に入りますと各藩主が漆工芸品を保護するようになり、藩主お抱えの塗師が出現します。

刀の鞘塗師、武具の塗装に従事しており、その材料となる漆を確保する為に藩主ごとに植林を奨励することにより生産量が格段と上がり、この時代に日本国内各地に漆器が浸透します。

 

そこで現代、我々が目にする産地による特徴を活かした塗物が誕生しました。

 

漆器 地図 ←クリックで日本漆器地図が開きます(古美術希コラム頁参照)

 

ようやく、この辺りから当店が店頭で皆様にご覧いただいております漆工芸品が生み出されるのですが、これよりも古いものをお探しの場合は店主にお声がけください。江戸時代よりも古い漆工芸品が入荷していても店頭に陳列することは少ないので御購入意思のある方のみご覧頂ける商品も少なくはありません。

 

江戸時代には漆で様々な贅沢品が生み出されました。

その代表的なものは印籠、櫛や簪、鼈甲や象牙に蒔絵を施したような材料が今では禁じられているものも多くございます。

 

*蒔絵香合←クリックで商品ページが開きます(古美術希)

 

画像は当店でご案内中の金銀蒔絵香合で江戸時代のものです。

中と裏は総梨地の豪華な作りとなっております。

 

これも当時の人間の意識が戦から文化へと移り変わることにより生み出された美術品だと考えております。

 

繊細な描写による工芸品が見られるようになると全国でも競い合う内容が戦国時代とは異なる意識の変化がもたらされた結果、このようなものが完成したのでしょう。

 

こちらこそ、時代が数百年上下しても、今を生きる人の目を捉えて離さない作かと思います。

 

金と銀を使うことにより平面に奥行きが表現され、銀は時代を経ると鈍い黒へと変色します。

そこまでも計算されて作られたであろう美術品は時代を乗り越え今に至り、現代では平成の輝きを放ちます。

 

江戸時代に作られた漆による美術品は光り輝く中でも金の落ち着き、銀の渋み、黒の艶の変化、朱の落ち着いた雰囲気、螺鈿の変わらぬ輝きが所々味わえます。

 

手に取りジックリと御覧になれるのも古美術商という限られた空間が殆どですので、この時代のものが店頭にございましたら、是非、店主にお声がけし、拝見させていただく事をお勧め致します。

店舗により白い手袋の装着が決まりとなっている店も多くございます。

 

漆工芸品は素手で触れることはなるべく避けたい所ですが、残念ながら当店のお客様の一部では素手で触れないことをクレームとして告げる方もおり、迷いましたが、ご購入意思のある方のみ直接、手に触れる事を承諾しております。

 

この辺りは知識と常識があるか、そうでないかが試される部分ですので、古美術商を巡る中で最もお気遣い頂けますようお願い申し上げます。

 

そして時代は明治に移ります。

 

明治維新を皮切りに社会はガラリと変わります。

それまで上記に記載した謂わば職人たちは次々と職を失うこととなります。

 

画人もその煽りは強く受けており江戸末期に狩野派で修行をしていた狩野芳崖、橋下雅邦がこの頃に時代の移り変わりを受けつつも明治画壇と称し活躍し後にまで語り継がれます。

 

漆工芸品の歴史の波があるのであれば、この「明治」に大きな波が到来します。

 

生活様式がそれまでの江戸期とはガラリと変化すると漆器の需要が極端に減り職を失い転職する漆職人が溢れました。

これを挽回するには。。。と明治政府が出した策は「博覧会」に出展することで日本の工芸を世界に広めるきっかけを生み出しました。

 

諸説ございましてイメージダウンだったと反対の意見を述べる方もおりますが、日本のイメージを海外に広げたキッカケを打ち出したことは、それまで江戸時代に培われてきた技術を惜しげなく作品に費やせた時代をして美術史にはなくてはならない過渡期だったと思います。

 

漆器のことを「ジャパン」と称することをご存知の方は古美術品の収集家でありましたら必ず、どこかで耳にされた事があるかと思います。

 

時代を戻し、桃山時代にも日本から漆器がヨーロッパに大量に渡っております。

この時代はお隣、中国からもヨーロッパに向けて大量の漆器が運ばれております。

輸出するからには、その納める土地に見合うものを輸出するのがどの時代も商人として考えるところでございますが、この時代(桃山時代)は主にキリスト教にちなんだ漆器を輸出しております。

桃山時代ですので、都は京都。

京都からポルトガル、スペイン、オランダに輸出されており、その記実は今も残されているようです。

 

そして時代が明治になり、またしても日本国内からヨーロッパに向けて漆器を発信する訳ですが、この時代になりますと展覧会という発表の場を用いて日本の技術を伝えます。

この頃には「ジャパン」と言えば日本の漆工芸品を意味する言葉となるのですが、中国も同じく輸出をしていた歴史はあるものの、きっとヨーロッパの方々は日本産の漆器に目を奪われたと考えますと日本美術の誇りに感じます。

 

 

*蒔絵小箱←クリックで商品ページが開きます(古美術希)

 

画像は店頭に陳列している明治時代の蒔絵の小箱です。

この時代のモダンな絵柄は西洋文化に刺激を受けていることが見受けられます。

このような幾何学文様が取り入れられた作のものは、江戸時代の着物の文化にも通じる遊び心から、この後にやってくる時代へも影響は大きく段々と今現在の暮らしに近付いているような足音も聞こえてきそうな文様です。

 

余談になりますが、当店は着物(古布)の取り扱いはございません。

しかし、これは歴史を振り返ると文様を学ぶ上で何故、関東と関西では異なる文化が根付いたのかが解るので添えさせて頂きます。

 

江戸時代に入りますと京都を代表する友禅のような華やかな柄の着物が江戸の人達にとっては野暮ったいと不評だった歴史がございます。関東では無地が粋でお洒落とされており、その文化は言葉では伝わってこそおりませんが、、、近年も納得がいく話だと感じております。

確かに、ここ鎌倉は武士の地として有名ですが、極端に華やかな着物をお召しになられている方は今流行りの観光の合間に着るレンタル着物が多く感じます。

茶会の席に呼ばれますと、その時季に合わせた無地の品の良い控えめな色彩の着物が鎌倉の街を優雅に彩ります。

その奥ゆかしさに鎌倉の風景はとても似合います。

 

さて、着物に触れてからの大正期となりますが、大正ロマンと称すイメージが根強く浸透しております。

この時代のものが極端に好みだと仰る方も多く、大正時代は独自の文化で生活を彩ります。

 

しかし、この頃から戦争という時代を意識した日本国の歴史上で暗黙の時代に突入していく訳ですが、この後に訪れる戦争と美術に対しては、これまでとは違う目線でお話をさせて頂いた方がよろしいかと思いますので、本日は、大正期に差し掛かるところで最後とさせて頂きます。

 

戦争と美術

 

日本国は戦争モードに突入しますと、それまで贅沢品とされていたものへの関心をシャットアウトせざるおえない時代となります。

この時代を生きた方々の想いは、我々は聞くことが出来る年齢で生まれました。

戦争と美術の関係を書いた本はございます。

その時代の画家や工芸家がどのような道を辿ったかが明確に記された本を是非、1冊読んでみてください。

 

この時代背景にある美術の存在。

真剣に向き合うことにより、当店を訪れる時の心構えが少し律したものに変化すると思います。

 

*扇面香合←クリックで商品ページが開きます(古美術希)

 

こちらは戦後、日本国が敗戦国となり、やがて高度成長期を迎え美術という言葉の中にも様々な解釈が生まれた頃に作られた漆工芸品です。

現代美術のお話をする上で、こちらの工芸作品へも一度、目を向けられますと様々な発見があると思います。

 

さて、そろそろ、皆様が生まれた時代ですかね。

皆様が生まれてからの美術。

そして今、向かっている美術の先々。

 

個人的には面白い方向性を向いていると感じておりますが、それらを面白いと捉えられる方々が増えて頂けますことを願います。

 

 

長々とお付き合い頂きまして有難うございました。

 

 

漆器に基づき日本の歴史でした。   古美術 希 店主

 

 

*漆器日本地図はこちら←古美術希ホームページが開きます。

author:古美術 希, category:余談, 17:08
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