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漆器の歴史に触れてみます 前編(縄文時代〜鎌倉時代)


開いてビックリ!の画像で失礼致します。
私の手書き(しかもボールペン)で更に失礼致します。
こちらは「漆」の文字の成り立ちをご説明するのに必要でしたのでアップしました。
元は「漆」という文字には「氵」(さんずい)が添えられておりませんでした。
木と雨を組み合わせて上の画像のような表記とされておりました。
ご存知の方も多いと思われますが漆は木の樹液から採取されます。
木に切り込みを入れて、そこから滴り落ちる樹液が原材料となります。
日本国内では主に6月に採集され漆掻き(うるしかき)と言います。
国内産が良質とされている訳も加えますと成分量が他国の漆とは異なります。
主成分(ウルシオール)が優れている諸外国の順位(1位日本産 2位中国産 3位ベトナム産)
近年生産されている漆器に中国産が多く見られるのは日本の歴史を辿ると見えてきます。
もう少し掘り下げますと、下地に他国の漆を塗り、上塗で日本産の漆を使うことが多く見受けられます。
接着剤としても古くから重要な役割を果たしてきた日本産の漆は非常に優れた材料として江戸時代には藩主が挙って栽培を始めるのですが、この辺りは後編でお伝え致します。


写真 1.JPG
画像は当店に陳列している漆器の一部

最近、漆器をお買い求めになられる主婦の方が急増しております。
理由は「今の物と塗りが違う」ということが使うことにより肌で感じるようになった結果かと思われます。
これは歴史を辿ると何故古い漆器が良しとされるかは理解できるようになります。

今回は私も気合を入れてお伝えしようと数日間、資料の山の中で生活しております(ここは笑ってください)

一部の古美術収集家の方々には店頭でご覧頂きました当店の修復師による玉虫の小箱。
虫が苦手な方は悲鳴をあげておりますが、一部の方々からは
「これは百年以上このままの姿で残る作りだ」と評されております。
実際のところ、店主である私は苦手の方に一票。

玉虫の小箱を受け取ってから、やたらと目にするようになったのが塗りにまつわる歴史。

今回のストーリーとして修復師が「法隆寺の玉虫厨子を見て来てね。それで、自分で玉虫を採って作ってみましたよ」から始まりました。
店主と玉虫の数週間は偶然が重なる日々と相成りました。

 

話が逸れますがテレビで「玉虫色の決着」というのが放送されていて、思わず仲の良い作家Kさんにメールをしました。

「どっちつかずでハッキリしない終わり方のこと」を云うのですが、日本には様々な表現が溢れているものだと玉虫の小箱を思い浮かべました。

 

さて上記にある法隆寺の玉虫の厨子は伝来品として有名ですが、この厨子が日本で一番古いとは限らないのです。

考古学の域にはいります。

 

出土品から見えるのは凡そ5500年前のものが日本では出土されております。

場所は今も漆器が盛んに受け継がれている福井県と青森県から木製品の欠けらとなったものが多く見つかっております。

その時代のものは想像でしか物語ることはできませんが、おそらく器として作られたものとされており、素地となる材料は木であったり土で作られております。

それらに漆が塗られているものが出土品として発表されております。

縄文時代と思われるものには櫛も出土されております(福井県で保存されております)

 

今回は日本国内の漆の歴史を辿ります。

中国の歴史に触れる部分は少なくなることを予めご了承願います。

中国での出土品は今から約3500年前のものが断片で見つかっており、それより時代の古いものは今の段階では見つかっておりません。

古美術品全般に云えることですが断言できることは少なく、様々な時代背景を思い浮かべ目の前のものを他方面から見る目が必要とされます。

現段階では日本国内から出土されているものの方が古いとされておりますが、漆の歴史はどちらが古いと述べるには浅はかだと当店では考えております。

 

 

もっと研究が進み様々な歴史がわかるとより一層、現代の我々が目の前に当たり前のように存在する物や言葉、宗教、思想に対して姿勢が変わってくると思います。その時代ごとに更新されることを楽しみたいものです。

 

漆の歴史はこのように縄文時代の出土品からも見て取れるように日本人の生活に密着した歴史があることが解ります。

 

縄文時代の出土品は朱色のものが殆どで、弥生時代になりますと黒が用いられ、古墳時代から奈良時代にかけての出土品は漆黒が殆どの割合を締めるようになります。

 

朱と黒

 

「朱塗りの椀」を晴れと表することをご存知の方も収集家には多いかと思います。

この朱塗りという言葉は平安時代にようやく言葉として完成します。

 

朱塗りのものは平安時代に入りますと位の高い方のみが使うものとして定着します。

その他の方は黒塗りを使ったとされております。

先日のコラムに記載した源氏物語にも様々な色が登場しますが、登場人物である貴族が朱色の椀を使用していたと想像を添えて日本文学に触れるのも面白いかと思います。

 

日本に伝わる朱色の歴史は非常に様々なところで現代も受け継がれております。

その代表格は鳥居かと思います(鳥居の朱色の原材料は水銀)宗教的な思想や事情は省きます。

魔除けの色ともされている朱色を用いるのは祝いの席であったり武将が活躍した時代には戦に勝利すれば朱色の椀で祝ったとの伝えもあります。

日本人は朱色に対して様々な想いが込められ受け継がれて来ていることがわかりますね。

 

 

時代前後して失礼します。

奈良時代からは螺鈿(らでん)と蒔絵の技法が併用されるようになり、現代の言葉を用いると美術品としての存在がより一層増すのも、この頃からです。

寺などの建築物にも、これらの技法が用いられるのが、この時代からです。

この時代に一気に技術が発達するのは何故か?と疑問に思われる方は考古学好きですね。

ここも想像でしかのべることは許されませんが、おそらく中国から渡来して作った人がいるのか、又は中国の影響を受けて日本人が作ったのか、この部分は今の段階では不明とさせて頂きます。

 

 

そして、ついに来ました。

鎌倉時代。

(当店が今いる場所が鎌倉市)

 

ここ鎌倉では様々な出土品が見つかっております。

今も浜辺では李朝や伊万里の陶片も見つかる程、歴史の上に有る!という土地です。

 

鎌倉市内でも漆器が見つかっていることを御存知の方は流石、古美術収集家。

 

ここ鎌倉市内で出土されている漆器は主に下級の武士が日常的に使用していたとされる黒塗りの漆器です。

中には黒塗りの椀に朱色で文様が描かれているものもあるようです。

 

これは歴史的な日本人としての記憶の刷り込みかもしれませんが、武士が朱塗りの可愛らしい椀で食事をしていたとしたら。。。

何故か許せないのは私だけでしょうか^^;

 

出土されるものの殆どは捨てられた当時の漆器。

うまい具合に捨ててくれたものだと有り難く感じます。

 

ここで日常会話を一つ。

当店に御来店される方の約半数の方々は「古い湯のみが欲しい」と御来店されます。

これに対して「ございません」とお返事した後に「当時は湯のみというものは無かったのですよ」と一言添えさせて頂いております。

 

お茶の歴史にも触れさせて頂きます。

今、私たちが日常急須に入れて湯のみに注ぐお茶。

こちらは元を辿ると中国から伝来したもので煎茶道という抹茶とは少し異なる緑茶を嗜む茶道がございます。

煎茶は中国茶のように小さな猪口に入れるのですが、それが現代では湯のみとして手の大きさに合わせた形状となります。

 

鎌倉時代に戻り、一般の方はお茶を飲むという日常は過ごしていなかったと思われます。

鎌倉時代の絵巻などを参考にしますと、一般の方であろう人物に添えられているのは漆黒の椀だったりします。

白湯を呑むにしても、この時代はお椀だったとされており、磁器の発達は江戸時代に入ってからとされております。(陶器は別)

又、一般の方の生活の中で塗り物か無垢のままの椀を用いていたかは全国の出土品から判断するほか方法はありません。

 

しかし様々な研究を元に漆器の歴史は陶磁器の出現に至るまでの長い間、日本人の生活と共にあったことは間違えがなさそうです。

食生活の基盤となる食器は漆器が先に用いられたことを全編とさせて頂きます。

 

 

(後編は。。。しばらくお待ちください)

 

*追記:早速、御拝読頂き有難うございます。画像の商品は江戸期〜明治期のものです。現在、店頭で販売しております。お問い合わせ有難うございました。


(南北朝時代〜安土桃山時代はこちらをクリックしてご覧ください)

(江戸時代〜大正時代はこちらをクリックしてご覧ください)
 

 

*漆器日本地図はこちら←古美術希ホームページが開きます。

 

author:古美術 希, category:余談, 15:44
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