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秋の準備
8月も今日で終わりです。
今年の夏は雨天が続きました。
雨の夏として記憶に刻まれたかと思います。

茶懐石では葉月の点心から月見の懐石へと季節の移り変わります。
御準備は万端に済まされておられるかと思いますが御付き合い下さいませ。

これから月見、長月、そして名残りの懐石から神無月の点心と一気に「秋」が深まります。
食材で季節を演出される方に力を注がれますと自然と器選びが料理に合わせた選び方となります。

器にこだわりを見せる部分と食材を活かす用途を踏まえた器選びを御楽しみ下さい。

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店頭に陳列していない商品にも枯れた雰囲気が夏から秋へ移り変わる時期に適したものが多数ご用意ございます。
なるべく陳列するように努めてはおりますが、時に物の価値を知らずに片手で持ち上げてはドスンッと置かれる方がおられる為、時代により取り扱いが繊細となっているものは桐箱の中に留めている事もございます。

桐箱の中にあるものを全て開けて見せて欲しいと仰る方もおりますが、御購入意思からではなく興味本位からの「見てみたい」というのは古美術商の店頭では煙たがられるので御遠慮下さい。
店舗ごとに陳列していない商品はそれぞれ所有されていると思いますが、それらは店側と信頼関係が築けた上、もしくはお目当のものが店頭になく店主に問い、在庫があれば見せてくれるものです。

美術館や学校感覚で見てみたいから奥から出して来て欲しいというのは正直申し上げて迷惑行為です。
時々、買うかもしれないよ。と店主に向けて発言される方もおりますが、店側としては常連様の趣味嗜好は把握しておりますので、急にいらした方にあれもこれもと鑑賞させる為に箱を開ける事は当店では行いません。
この辺りが気の合う、合わないが明確になるかと思いますが、ボランティア活動はしておりませんので御了承願います。

本日使用している画像のものは李朝は既に売約済みとなり、こちらは御電話により御予約、そして御入金頂いております。
肌の感じ(雰囲気)だけ画像使用許可を得ております。

先ほど、茶懐石の話に触れましたが、画像のような壷を飾り季節の草花を投げ入れ、食卓では秋の食材を堪能されるのはいかがでしょうか?
上の画像は白薩摩の壷です。
幕末期に繊細な手描きで作られた壷は当時の献上品として大名家に納められたものです。
薩摩のような豪華で静寂な雅を帯びたものは敢えてこのまま飾り壷として使用します。
草花を生けてはいけないという訳ではありませんが、この状態で鎮座し、空間が完成するとして作られております。

少し掘り下げますと、上記に記載した茶懐石の食材を活かした器選びにも通じるものがあるかと思います。
器に料理を盛り付ける時に意識的に行うと良いのが、食材が活かされているかを確認されると料理が面白くなります。

画像を用意しておりませんので、以下は御想像下さい。

例えば古唐津の小皿に鮎の煮浸しなどはいかがでしょうか?
枯れて艶こそ失った古唐津の肌にこの時期でしたら子持鮎を煮浸しとして調理し添えます。
おそらく、それだけの事で、目の前に秋が到来します。

又、秋刀魚(さんま)や梭子魚(かます)を頂いたとします。
焼いても蒸しても良しとし、何に添えますか?
もちろん、お手持ちの中から探されてみて下さい。
陶磁器の長皿を思い浮かべた方が殆どかと思います。
長皿を既にお持ちでしたら次は漆黒塗りの盆や蒔絵が僅かに施された漆塗の椀をお勧め致します。
海の幸が調理され漆黒の中に納まり有り難みさえ感じる事が出来ます。

秋の食材は豊富ですから、これからの時期は料理人が足繁く通われ、お客様をもてなす為に器を選びます。
店頭では男女問わず料理人が唸る姿も多くなり、お陰様で年々増加の傾向にあります。

和食ブームという流れも無視できませんが、基本に忠実な料理人が多く御来店頂いております。
器にアレンジを加えるならば料理人に聞いてみると面白い提案をしてくれるものです。

外食される事も増える時期かと思います。
行きつけの店主に料理のコツを聞くと共に、器の使い方を尋ねてみるのもよろしいかと思います。

器選びに強いこだわりを持つ店の料理人は常に真剣勝負ですから料理は勿論、器に触れると笑顔になってくれる方が多いかと思います。
繁盛店で忙しそうな時は無理に声を掛けるのは避けて下さい。

最近は器選びも海外の方が目を引きやすいような選び方をされる場合も増えております。
結果、基本に忠実な選び方をされた方が長く使えると喜ばれております。
インパクト勝負!も時代ならではですから否定は致しません。むしろ面白いと思います。
ドンドン幅を広げて行って欲しく、時々、定番の器へも目を向けて下さい。

部屋の空間に秋をもたらすものも多数ございます。

床の間に。。。とオススメしたいところですが現代の住居環境を考え、配置する場所に関しましてはお客様お一人ずつ対面にて御相談承ります。

9月4日(月)は臨時休業となりますが、其の他の水曜日以外に、御来店お待ち申し上げます。

 
author:古美術 希, category:余談, 14:53
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「夏」舞い戻り

こんにちは。

 

改めまして

 

残暑お見舞い申し上げます。

本日は真夏日が久しぶりに舞い戻ってきました。

表のウィンドウは先週から「秋」の雰囲気に変えたばかりです。

道行く方からも「可愛い〜♪」とお誉めいただいていた矢先。。。

夏!リターン

と、いうことで店内には急遽「染付」コーナーを作りました。

 

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店内入ってすぐの正面に染付を陳列。

 

伊万里や平戸の時代物をドーンと配置。

 

清々しい雰囲気になったかと思います。

 

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その左側にも染付を。

 

この他にもまだまだございます。

 

店頭で御確認下さい。

 

尚、写真は染付だけをアップしました。

 

色絵の華やかなものや渋い六古窯のものまで色々取り揃えております。

 

暑いので涼しい時間帯に御足労頂けましたら幸いです。

 

ガラスの器と合わせて時代物の染付で眼から涼を取り入れて、、、お過ごし下さい。

 

先ほど、店先の商品入れ替えをしておりましたら「暑いわね〜」と声をかけられ、続け様に「暑いね〜」「暑いですね〜」と通る方みなさん。。。本日の会話は「暑い」に限定。

 

皆様、どうぞ、ご自愛の程。。。

 

 

 

author:古美術 希, category:余談, 16:43
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お問い合わせをされる場合

こんにちは。

 

現在、メールのお返事が滞り、一部、受信日より数週間経過しており御迷惑をお掛けしております。

 

メールの内容に発信者の御名前、連絡先(御電話番号)が明記されている案件のみお返事致しております。

 

お問い合わせより送信された場合は、必ず、御名前と連絡のつくお電話番号を明記の上、送信願います。

(この段階では御住所の明記は不要です) 訂正:御住所必須とさせて頂きました。

 

差出人不明の案件に関しましては全てお返事致しておりません(ご氏名のみの場合も御返事致しません)

 

又、当店へご来店された事のある方で、既に連絡先を当方が把握している方は御名前明記のみの場合でも御返事申し上げております。

 

過去にお取引のあった方々に関しましては今迄通り御返事させて頂いておりますので、こちらの記事内容はお目障りとなりますが御了承下さい。

 

お問い合わせの内容を文章にして一行足らずでお問い合わせされる場合は大変申し訳ございませんが全て御返事申し上げる事はできません。

 

理由として、先々、お取引をする上で信頼関係が築けるかを判断させて頂いております。

 

御電話によるお問い合わせも同様、できれば御名前をお客様の方から申し出て頂けましたらスムーズな対応が可能となります。

 

何卒、宜しくお願い申し上げます。

 

当店ではお客様の個人情報は厳守としておりますので御安心頂けましたら幸いです。

 

*法人、個人に関わらず、御電話番号を明記頂けましたら業務がスムーズに進行します。メールでのやり取りには時間を要する為、御電話の方が早く結果がでる場合もございます。御協力の程、宜しくお願い申し上げます。

 

 

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*画像クリックで「お問い合わせ」ページが開きます(古美術希のぞみ)

 

*日本現代美術工芸善ぜん&現代和雑貨希のぞむのお問い合わせページはこちらをクリックして下さい。

 

共に古美術希が管理、経営致しております。

author:古美術 希, category:余談, 17:51
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子どもの日

何度撮影しても。。。神々しく輝いてしまいました^^;

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本日は「こどもの日」

悲しい哉。。。
誰も気づかないのでコラムで御紹介。

『鯉の滝登り』を立体化した白薩摩花器。

こどもの日にちなんで中央に配置してあります。
本日御来店された方、、、「いいわね〜。鯛?」とは聞かれても、まだ、どなたも「こどもの日だから鯉ね!」と仰った方がおらず。。。

鯉(こい)は出世魚として象徴されております。
これは中国の古いお話からきております。

滝を登るあらゆる魚の中で、鯉だけが滝を登り、そして天に昇り「龍」となったというお話。
どこかで耳にされたこともあるかと思います。

鯉の髭(ヒゲ)は龍になった時も龍の髭として描かれており、大きく口を開けて上(天)を目指す姿は掛け軸などに良くみられます。

このお話から鯉は出世魚とされて、こどもの日に「鯉のぼり」が飾られるようになったのです。



と、いう事で今朝から配置を変えてドーンと飾ってあります。

こちらの花器の全体を写真撮影しなかった理由は本日までお披露目するのを待とうと思ったのでアップしませんでした。
その前に「出世魚だ!」と、気づかれた方に息子さんやお孫さんがおられたら、お薦めしようと思いましたが。。。

残念ながら、現れませんでした。

今年も甲冑や兜の問い合わせは数件頂戴しました。

志向を変えて、このような造形化された『鯉のぼり』は如何でしょうか?


白薩摩は献上品としても有名です。
非常に状態も良く、鯉の表情、全体像は勿論、水を表す飛沫までもが立体化されております。

家宝として息子さんがおられる方は是非、ご検討下さい。

(今日になって紹介するなよ!という声も聞こえて来そうですが、その前に言わずとも鯉のぼりだ!と気づかれるかな。。。と、のんきに構えてしまいました。失礼致しました)

お値段はそこそこします。
ご家族会議の後、お声がけください。

*現在、古伊万里の「鯉の滝登り図」ご用意ございます。こちら必見です。ご来店ください。

*これから出世してやるぞ!という方も、是非、御検討下さいませ。

 

白薩摩(献上品)&鯉の滝登り(出世)と、共に、めでたしグッド
 

author:古美術 希, category:余談, 15:00
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美術品に欠かせない照明

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閉店後の店内で撮影した桜です。
夜桜という言葉があるように日中とは異なる表情を見せる桜。
日没後の月明かりや照明に照らされるものは花だけでなく様々なものの雰囲気を変えます。

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既にご自宅に古美術品をお持ちの方はご存知ですが、例えば床の間に飾った壺や彫刻は日中は太陽の光によって健康的な表情を見せます。しかし日没に近づくと陰影や肌の質感、素材によりグッと渋みを増して鑑賞することが可能です。
これは絵画作品のような平面のものにも同じ現象が現れます。
元々、画商勤務でしたので、絵画作品を照らすライトの明かりや角度に多大な勉強を強いられてきております。
表面とされる角度を目線に入る角度に配置してからライトを当てます。
そのライトも照らす対象物をダイレクトに照らさずに少し上下、左右にずらして照らすことで陰影がハッキリと浮き上がることもしばしばございます。

美術館や博物館の展覧会も同じく搬入時に何度も確認するのが照明の当て方です。
店頭では滅多に質問を受けることはございませんが、美術関係者(展覧会場)からの御相談でよくあるのが照明の色や配置についてが多く、本日、ここに記載させて頂きます。


こちらが日中に撮影した画像です。
背後からは自然光が差し、上からは蛍光灯の明かりとスポットライトで照らされております。
こちらは本来、寺院等の建物の中に配置されていたものですので、できれば演出を考えた場合、和蝋燭の明かり等で照らすことが好ましいのですが、店頭で和蝋燭は危険な為、照明は現代のものを使用する他ございません。
こちらでも十分に迫力は伝わりますが、閉店後に撮影したものをご覧ください。

写真.JPG
上からの照明を落とし、横からスポットライトを照らすことにより彫の繊細な凹凸がより一層際立つかと思います。
全体的にも引き締まった印象を与え、重量感も伝わります。
どちらが好みかは個々人の感性によるところです。
ものの本来の姿を引き出すには明かりの加減も配慮されると面白いです。

美術館、博物館の展示が一番勉強になりますが、日頃、街中を歩いていても目に止まる店頭のディスプレイから照明の勉強は可能です。

対象物となる物の姿、形、素材、質感、絵柄(絵画の場合は構図)をより際立たせるには、この「明暗」を与える側が考慮することにより可能になります。
その部分を少し掘り下げ考えることにより配置する場所と対象物のあり方を「空間」を作ると意識しながら行うと個々人の理想に近づけます。

上に蛍光灯の明かりと記載しましたが、古美術商店で蛍光灯かよ!と笑われる方もおられますが、刀剣を鑑賞する場合は、この蛍光灯と自然光の両方が揃った環境が好ましいので当店では設置しております。

開店当初は明るすぎてダメだと笑われた御老人もおりましたが、細部まできちんとチェックするには照明は必要です。
むしろ暗い場所で御購入される場合は御注意下さい(あらゆるジャンルに言えることです/月明かりで見たら良い女でも日中はわかりませんよ!って具合に違いますからね)

当店のように路面店でしたら自然光も差し込みますので本来の色みはご覧いただけますが建物の中で拝見する場合はスポットライトと自然光に近い蛍光灯、そして古美術商の店主でしたら必ず店内に小型の懐中電灯(オレンジ色ではなく青い明かりの系統)を準備されていると思いますので、両方の元、商品を細部までご確認されることをお勧め致します。

古いものには小さな貫入や欠けも生じている場合が多々ございます。
御購入後に気を揉まれる前に店頭で御確認されるのが一番賢明かと思います。

 

中国の方は自前でライトを持ち込みます。これには本気度が伝わりました。

(ルーブル美術館でイーゼル自前でスケッチする人の本気度に似ていて私は自前のライト&ルーペは歓迎しております)

お客様より良くお話いただくのは、初期伊万里や古伊万里、李朝、九谷と様々なやきものも午前と午後では全く違う表情を見せると御報告を頂きます。
店頭では気がつかなかった肌の色や自然にできた歪みや凹みに影がさすことにより異なる表情を見せると嬉しそうにお話しされる方が多く、御鑑賞を楽しんで頂いていることを嬉しくも感じております。

古美術品、骨董品は所有しないと良さがわからないと言う言葉を買わせたいから言うんだろ?という捻くれた人も世の中には大勢おります。そのような方は所有されるのは辞めた方が良いです。むしろ譲りたくないのが本音です。
余裕や心の豊かさを備えた上で見えてくる部分も多いと感じますので、斜めから見て買うことは避けられた方がお互いのためでもあります。

1つ。これだ!と確信したものを所有されている方は使うことによりわかる良さ。の意味を御自身で感じて御納得されております。
こればかりは言葉で伝えるには限界があるので、言葉以上の感動や感触の確認を求めるにはやはり1つお手元に所有して下さい。
長い歴史を人と人が受け継いだものですので、早々、ケチをつけるようなものではないです。

商品をけなして安く購入しようとするのが昭和のやり方かもしれませんが、当店ではその手には乗りません。
気に入らないのであれば、気にいる物が見つかるまで探された方が宜しいかと思います。

話が外れてきました^^;

上記に女性を例えて挙げましたが、これは最近、最も強く感じておりますので書き足します。
「どこが良いのですか?納得するように説明して下さい」
と、いう若い世代の来店が増えました。
これも時代なのかと思いますが、私が感じるがままにご説明しても伝わるものではありません。
これらのご質問に決着をつける一言を同業者の方が読まれておりましたらお伝え申し上げたく、添えたいと思います。

「この女のどこが良いのか説明してよ、納得したら結婚するよ」
と、申し上げているのと変わりませんよ。

この一言で、その場が全て終了します(男女逆の場合も有)

いわゆる最近の言葉で言う構って欲しいだけの人。
だいたい同じような質問を繰り返されるだけですので大事な美術品を譲るのは避けた方が健全です。

同業の方々にも様々なタイプがおります。
店主として皆さん一生懸命商品を吟味して自腹を叩いて店を経営されております。
当店で相性が悪くても古美術商には様々なタイプの店が存在しますので御近所に古美術商店がございましたら、お気に入りの物が見つかるかもしれません。
その場合は「拝見します」の一言か始まりますと良い物と出逢えます。
古美術品の収集は店と信頼関係が築けることが第一だと思います。

店主としてもお客様の厳しい眼が陳列する美術品に向けられることを求めております。

「ついつい買っちゃうんだよな〜」と収集暦数十年の方が笑顔で壺を抱きしめて宙を仰ぎ何やら模索している瞬間に横にいるだけの存在なのですが、それが嬉しいので有ります。

照明のお話からかけ離れましたが(いつものことですみません)お気に入りの家宝がお手元に納まりましたら、食器以外でも照明により楽しみ方は倍々増することを申し上げて本日のコラムはこれにて失礼致します。

最近、小難しいババアの店と御想像されてからの御来店が多く嬉しい限りです。そのイメージで御足労願います(礼)

author:古美術 希, category:余談, 14:12
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訳あり過ぎ品

かれこれ数年前より。。。(十年経つかも。。。)
古伊万里蛸唐草紋様角皿を仕入れて眠らせてあります。
その訳は。。。
古美術品に詳しい同業者及び、陶芸家、古美術骨董収集家の皆様にこちらをお見せして
「どうしたもんだろか?」と問い、呼びかけ、、、今に至ります。
それはですね。。。
『釉薬が剥がれている』
詳しく申し上げますと、一部が膨れ上がりパリパリ〜ぺろぺろ〜と皮のように剥がれます。
皆さまの答えは
「こんなの見たことない。。。普通の古伊万里じゃないの?なんで?」
数十人にお聞きしましたが、この剥がれっぷりは私も十数年店先にいて、これ以外に出逢いませんでした。
写真 1.JPG
本日はついに私の手で剥ぎ取ってみました。
奥に見えるのが剥ぐ前。
手前が剥ぐ作業中。
皮(釉薬)にも呉須の紋様は写っております。

もう何年もこの作業をするか、しないかで悩みましたが、年々剥がれの面積が広がったので平成の本日、着手させて頂きました。
見事な剥がれっぷりです。
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作業を続けていると本来の磁器の感触が伝わる肌が出てきました。
よ〜く目を凝らして見ますと。。。
もしかして、これって「ニュウ」が入っているから修理として釉薬っぽいものを塗ったのか?と憶測するような傷跡が出てきました。
それにしては剥がれ落ちたものに呉須の藍が染まっているのは何故?
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高台もペコペコして水ぶくれ状態です。
こんな状況を見たことがございましたら原因を教えて下さい。
釉薬の剥がれを阻止するには素焼きの状態の時に埃や手脂等から肌を守る必要はございますが、、、それにしても、こういう剥がれは見たことがございません。
釉薬が肌の一部を避けるようにして素地が見えるものや灰の付着により虫食いと呼ばれる跡になっているのは、これは古美術品を扱う以上、なくてはならないポイントで傷にはカウントされません。
しかし、こちらはですね。。。
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このように薄く剥がれます。
ありえません。。。
食器ですからガラス質のものが口に入るなんて言語道断。
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ほらほら。。。
見て〜。。。
ピンセットでパリッパリにペロ〜ンと剥がれます。
残念ながら富貴長春の文字部分までは剥がれませんでした。

皿の表面は全て剥がし終えて裏側が残すところ面積として4割。

こちらのような状態のものは今回剥がしたものと、残り1枚ございます。
筆入れ(ペンケース)としてでしたら十分にお使いになれますが、いかがでしょうか^^;?

当店には博物館や美術館勤務の方々も多く御来店頂いております。
資料となるかは解りませんが御興味ございましたらお声がけ下さい。

残り1枚は剥がしたい方へ取っておきます(結構、面白い作業です。。。私みたいな美術バカには)

裏の作業台で地味に作業を行うことも多々ございますが、本日は実に楽しかったです。

で、重要なところは時代はどれぐらいのものか?
これは当店では1600年代を初期伊万里と称し、1700年代を古伊万里とし、1800年代以降を伊万里と一律呼び方を設定してありますが、間違いなく1700年代後期のものと思われます。
磁器の肌の色に呉須の色、形状、紋様、申し分ない古伊万里蛸唐草紋様角皿です。

しかし、残念なことは約300年後に釉が剥がれてきてしまったよ〜というのを陶工にお伝えできたら、その方は更に研究するか、素焼きの状態の管理(素地)を見直したかと思われます。


と、いうことで、訳あり過ぎ品。
こちら、薄皮剥がれた状態で販売しなくて本当に良かったと剥がした後を眺め自画自賛中です。
殆ど、剥がしてしまったので皿としても使用可能な状態まで仕上げましたが、心配な方は御購入は御遠慮ください。

このハサミもカッターもピンセットも高校を受験する時に造形の試験時に購入したもので。。。非常に長い付き合いです^^;
物持ち良すぎ。。。
高校受験を見事合格させてくれて、数十年後には古美術商の店頭で皆さんの御購入品に巻くプチプチをカットしているとは。。。
ピンセットも中学生が高校受験時に厚紙を接着する時に使われていたものが、今では得体の知れぬ仏像の体内とか探っちゃったりしております。
カッター君は刃を変えますが本体とは長いつきあいです。カッター君だけは大学受験時も付き添ってもらってます。

ということで、当店は美術バカが営む店ですので、あまりにもふざけた事をされますと即日速攻出入り禁止になります。

古美術品は勿論ですが、作った方、守り抜いてきた方々に感謝の気持ちと敬意と時に本日のような数百年後に明かされる失敗作も愛情を持って接して頂ける方の御来店を心よりお待ち申し上げます。

このようなコラムを載せますと「見せて〜」とヘラヘラ御来店される方もおりますが、研究材料として拝見して頂ける場合は裏からお出しします。
それ以外の「話のネタに!」程度の軽いノリの御来店は心よりお断り申し上げます。

釉薬の剥がれで驚かれていらっしゃる方がどこかにおられましたら、当店にもこんな状態のものが入ってきてますよ〜!とのお知らせでした。
これは作る段階のミスと称して終わります。


私の作業台です。

12年でこんな状態^^;

古美術商って裏でボケーっとしている訳ではないのですよ。

今はアナログからデジタルまで作業は果てしなく。。。

修理品、刀剣の研ぎはそれぞれにお任せしておりますが私が直せる範囲の修理は行っております。

こちらは店主である私の仕事ですからお客様からは金銭一切受け取りません。

店番だけしていれば良いなんて甘い世界ではないですよ〜。
弟子入り志願の方はお断りしますが手入れのコツは店頭でお伝え致します。

ご不安な点は御購入時に店主にお聞きください。

 

author:古美術 希, category:余談, 17:04
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達磨大師

日本で達磨さんと親しまれる達磨。
倒れても起き上がる姿を縁起物とし各御家庭に浸透しております。
達磨さんの教えを基にお子様にも目を片方ずつ入れる理由をお話になられる方、又、親御さんや御親族から見聞きされた方が殆どかと思います。


達磨大師
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達磨大師の特徴は耳に付けられた輪、そして眼差しは鋭く絵画には髭を生やした威風堂々としたお姿が描かれており、それらを見てすぐに「達磨大師だ!」とわかる程、世代を超えて知られる人物です。

さて、達磨大師はインド人だという説は御存知でしょうか。
生まれた年月日には諸説ございまして断言できませんが当時の国王の王子(第三王子)として生まれインドから中国に渡り没地は中国とされております。

 

国王の子として生まれ、なぜ禅の道へ?

般若多羅尊師というお釈迦様の教え(仏法)を継がれた方が国王から宝珠をもらいます。

その宝珠はとても輝いており美しいもの。

そこに居合わせた国王の息子に尊師は「この宝珠より勝るものはこの世にあるかね?」と問います。

兄は「その宝珠に勝るものはないよ♪」と言いますが、やがて達磨大師となる第三王子は

「物である宝珠より仏陀の知慧の方が勝るね♪」と発言します。

これが般若多羅尊師の弟子入りとなる事柄とされており、菩提達磨と命名され尊師の命ある限りつかえました。


それでは、どのタイミングで日本に影響を与えるかを記載します。
達磨は尊師を亡くした後に中国を目指します。仏法を伝える為とされており、この時、既に60歳。

 

中国、南朝の梁(広州/現在香港&マカオ)の始祖である武帝と会話を交わすのですが、その中に当店にご来店された方の一部の顧客様にはお話させて頂いております「功徳」を問う文言がございます。
武帝の「余が多くの寺院を寄進したその功徳は」の問いに対して『無功徳』と発言し、功徳とはなんぞや?というような会話です。
この功徳を基に当店のあり方も開店当初から思案する所であります。
武帝と達磨の会話の内容は色々な分野から発表されておりますので、そちらを御拝読頂き、どのように解釈をするかは皆様方に委ねたいと思います。
武帝は達磨の言葉(無功徳と発した所を指します)が、その時は身に沁みる心情ではなかったのでしょう。
怪訝された武帝に対し、達磨は武帝の表情から武帝とは御縁がなかったと中国に渡ることを決します。
その後、達磨が中国の寺で9年に渡り座禅を組む姿も有名な美術品として現存しております。

各時代に描かれ、各地域に残っております。この時の絵画に髭の印象を濃く残す訳です(9年座禅してますからね)
禅宗を広げていく中、当時の中国の僧侶に影響を与えます。
大艦禅師慧能という僧侶が禅宗を更に弟子に伝えていくわけですが、この時、日本から僧侶が中国に渡り臨済宗、曹洞宗などの禅宗五家として日本国内で広がります。


臨済宗で最も歴史が長いのは建仁寺(京都)で(1202年)明菴栄西(1141-1215)が日本に伝えたとされております。
続いて東福寺(京都)(1236年)円爾(1202-1280)
そして、ここ神奈川県鎌倉市に
建長寺(1253年)北条時頼が蘭渓道隆(1213-1278)を中国から招き開山。
円覚寺(1282年)無学祖元(1226-1286)を招き同じく鎌倉で始まります。
続いて各地域に禅宗寺が広がります(詳細は臨済宗でお調べください)

曹洞宗で最も歴史が長いのは永平寺(1244年)(福井県)鎌倉時代の武将波多野義重の要請で道元が開きます。
続いて石川県の真言律宗が現在神奈川県の鶴見区にある總持寺の前進となりますが、こちらは明治44年に寺基移転が行われ、石川県の真言律宗は總持寺祖院と称されております。
*總持寺は神奈川県横浜市鶴見区
 

 

達磨大師が丸い形状となったお話は中国の寺で座禅を9年間行った時に手足が腐って無くなってしまったという説が強く言い伝えられておりますが、禅寺では座禅をしているお姿と伝えられております。

 

手足を省いた状態で達磨大師像が現在、皆様のご自宅にある達磨さんとなったとされております。

(ちなみに達磨さんの弟子入りが叶った方も自ら手を切り落としております。歴史は壮絶です)

 

サラリと記載してしまった部分が多く恐縮致します。

 

開業当初から現在に至るまで初心忘るべからず。の想いから達磨大師の功徳を説く文面は店の裏に貼ってあります。

しかし難しいですよね。。。実に。

 

功徳の解釈も各々異なるニュアンスを含まれますと、禅の基礎とも呼べる言葉で伝達していくものではないという思いも膨らみます。

 

「コレが、こ〜だから、こ〜なんです」は、実に危うい言動と心得、なるべく解りやすく店頭では御案内できるよう務めさせて頂きます。

 

 

禅のことば 大本山建長寺 本の中で御案内されております「書/作品」の販売は当店で承っております。

 風間 敞子(かざましょうこ)建長寺にて僧侶に「書」を教えておられる方とお伝え申し上げます。

 

達磨大師の教えを日常、目にされる場所に置かれて初心忘るべからず。でお過ごし下さい。

 

 

追記

 

達磨さんに目を入れるようになった訳

 

子供には=願掛けと教えましょう

大人には=実は江戸時代に商人が打ち出した商戦だった事を店頭でお伝えさせて頂いております。

 

 

author:古美術 希, category:余談, 14:32
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聖徳太子と紹介するのは、もはや古い?(3.20追記有)


聖徳太子像
←クリックで詳細ページ開きます(古美術希)

店頭で「あら〜聖徳太子の若い頃ね〜」と皆様、有り難く拝見されております。
手元に破損があるものの良い状態で現存しております。
所々、当時の色が見えるのでご来店されましたら是非、背後もご覧ください。
こちらは陶器製で中は空洞となっております。

さて、タイトルを御覧になられて驚かれた方も多いかと思います。
近年、教科書には聖徳太子と記載せずに厩戸王(うまやとおう)と書かれており聖徳太子の実名です。
我々が慣れ親しんだ呼び方は厩戸王の功績をたたえ後の時代に聖徳太子と称されることになるのをご存知の方は少ないと思います。

時代はドンドン塗り替えられているのであります。

厩戸王と記載しますと「ん?誰?」と思われ混乱しますので、以下、聖徳太子で記載させて頂きます。

聖徳太子といえば、お札の人!10人の人の話を一度に聞けた人!と仰る方が殆どで、もう少し詳しく功績をあげられる方は遣隋使の派遣、憲法十七条の制定と仰るでしょう。そして冠位十二階の制定や国史編纂、仏教興隆があげられます。
仏教興隆に関しましては戦に持って行った仏を納める為に四天王寺を建立したというのは有名です。
法隆寺に建立に関しては未だに結果は出ておりません。三経義疏も加えておきます。


このように必ず日本史で学ぶ飛鳥時代の偉人。
それが聖徳太子であり、我々は歴史を疑いもせず各々今に至ると思います。

それが平成になり「こんな偉業は無理でしょ〜」というような観点から研究が進みまして、いよいよ厩戸王と覚える時が来ました。

聖徳太子が生まれたのは馬小屋だというのは御存知ですよね。
その馬小屋で生まれたことから厩戸王と命名されたという説が強いようです。

そうは申し上げても遣隋使の派遣がなければ日本と中国の関係性は異なる道を歩んでいたと思います。

聖徳太子はいなかった!とも言われる時代ですが、この功績は一体誰が成し遂げたのか?疑問が増えてしまいますよね。
厩戸王は実存したとなっておりますから、そこから付随する歴史は多かれ少なかれあると推測されます。

最近、極端に古い時代のコラムを更新しておりますが、まずは、ここから脈々と受け継がれて来た文化、思想、宗教、戦争、などを紐解いていくことが必要かな?と感じます。

聖徳太子も若い頃は戦に励んでいるのです。
その後に四天王をを祀る寺を建立。
この辺りに、また「それは違う」という時代が来るかもしれません。

連日、お伝えしているように古美術品と歴史は断言できない部分が多々あるというのは、このような研究段階を含めてお伝え申し上げます。

この話題は去年?一昨年?話題となりました。
ご存知の方はニュースをしっかりチェックされておられますね。さすがです。

また歴史の更新がございましたら、覆されないような範囲でお伝え致します。



同年追記:「聖徳太子」復活へ 次期指導要領 「厩戸王」表記で混乱

産経新聞 3/20(月) 7:55

 

再び聖徳太子と称する動き有(当店更新3.20/10:30)

 

 

author:古美術 希, category:余談, 17:53
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菅原道真公

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菅原道真公厨子入
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梅の花が開花すると共に、北鎌倉は観光客で賑わい始めております。
梅をこよなく愛した人物として菅原道真公が有名ですが「梅紋」と云えば道真公を祀る天満宮の象徴でもあります。
天神の神紋である梅紋は道真公が詠んだ
「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」
遠く離れた京の春を偲んだのはご存知かと思います。

梅紋には2通りあり
*写実的にデザインされたもの(梅花)こちらが菅原家と天満宮にゆかりのある紋
*抽象的にデフォルメされたもの(梅鉢)加賀百万石の前田家の正紋

こちらが天満宮が使う梅紋です。

 

梅紋は国内で使用する紋としては多い方です。

主に京都や九州地方で多く現在も受け継がれております。

本日は「学問の神」と称される道真のお話の中でも少し砕けた内容をお伝えさせて頂きます。
と、いうのも生まれた年や場所につきましては諸説ございまして各地で様々な言い伝えがされており平成の今も不明とされております。

学問の神と呼ばれる道真公ですが元は貴族であり、言い伝えから想像出来る範囲で記しますと刀は太刀を好み、馬がお好きだったようで馬上で太刀をさし梅の花を好み愛でる人物像と申し上げ想像できましたら遠い昔の平安京の背景を添えてください。

武芸の方は今でいう弓道が得意だったようです。

貴族の姿そのものでございますね。

道真公は、その太刀で、カッパを斬ったというお話がありまして、手を伸ばしてくるカッパの手首を斬ったものが天満宮に保管されているというのも有名なお話でございます。

 

 

日本各地を訪れ、その言い伝えも今も各地で伝わっております。

教養が備わる道真公は思いついた瞬間に和歌や漢詩を詠むようで、それらを書き留める役割の方も大変だったと想像すると面白いかもしれません。

ただ、ここで申し上げたいのは勉学に励む姿だけではなく、京都を訪れると遊女との交流も多くあり道真公の子供とされる人数は大凡23人とされております。

子煩悩でも有名ですが道真公は我が子を亡くした経験もしております。

 

菅原道真公の生涯に渡るストーリーは平安時代から現代にまで受け継がれておりますので詳細は省きます。

大まかに現代の言葉を用いてご説明しますと家柄から若き道真公は官職につきます。

その間、交流を深めた方々が亡くなり宇多天皇が醍醐天皇に譲位すると藤原時平と道真が官奏執奏の特権を握ります。

醍醐天皇の時代も道真は昇進を続け大臣にまで昇進します。

しかし、その頃になると敵視する藤原氏は道真の朝廷が権限と財源を集中させて政権のあり方に不満を漏らすようになります。

すると、どの時代も同じような流れになりますが、当時の貴族も安定した今の生活を望み新たな改革を掲げる道真を倦厭するようになります。

 

やがて道真が右大臣。

時平が左大臣となります。

この頃になると廷臣の妬み&嫉妬もピークを迎えます。

しかし、ここまでは上記に記した道真のイメージ像で保たれております。

 

この後ですが、男の嫉妬ほど怖いものはないと思い知らされるようなドロドロ政権争い&策略が行われ(いつの時代も変わらないですの〜。テレビつけると、この当時のまんま!な日本)道真が仕掛けただとか、道真がこう言っていた!等の落とし込める罠を張り詰めて、宇多天皇と醍醐天皇の対立とも言い伝えられる程の政治的なドロドロストーリー展開の後(こういう場合は必ず死者は出ます。いつの時代も)道真は太宰府で謹慎となります(昌泰の変)

この謹慎の頃にいた浄妙院は当時荒れ果てた状態だったようです。

 

京都を離れる時に読んだ詩が一番初めに記載した梅の詩です。

 

なんとも切なくなりますが享年59歳。

 

道真公の残した思想や文化は受け継がれ、作者不明とされているものの中には道真が作者ではないか?と言われるものも少なくはありません。

 

朝廷と道真公のあり方を読み解く上で見えてくる政治家としての生涯。

天満天神として今も尚、太宰府で皆様を見守り続けております。

 

今年も京都の梅は太宰府まで飛んで言ったことでしょう。

 

近年、受験シーズンの神頼み!というイメージですが、菅原道真公の仏が、ここ鎌倉まで至るには長い年月がかかりましたね。

 

この大きさは武士が戦場に持って言った兜仏とは異なり、常に身近に置き祀る念持仏です。

厨子があることから携帯用として持ち運びも可能となっており、これらが作られたのは江戸時代の中期に入ってからと推測されます。

 

その理由を述べますと、江戸中期頃に「菅原伝授手習艦」という歌舞伎の演目が流行りました。

このストーリー展開は道真が失脚した頃を中心に盛り上がります。

きっと、この当時に歌舞伎をご覧になった方で道真公を祀る人が増えたのではないでしょうか?

 

これまでに当店には厨子入の道真公仏が何度か巡ってきました。

そのどれもが状態良く保たれており、次世代に受け継がれることも共に願ったであろう姿が印象的です。

凛とした佇まいの菅原道真公。

 

今の日本に何を思うのでしょうかね。

author:古美術 希, category:余談, 15:31
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日本刀って何からできているの?に答えます

テレビでも海外の方々が「日本刀は他の国の刃物とは全く違うんだよ」と発言するような時代となりました。
それを「どこが違うのですか?」と聞き返すのが日本人という、愚の骨頂の時代ともなりました。

さて、刀剣って鉄でしょ?にお答えします。

「そうです。鉄です」

玉鋼(たまはがね)
一度は耳にされた事もあるかと思います。
和鉄(わてつ)を鋼(はがね)と称します。
和鉄と言うほどですから、これらは日本国内の土地で採取されます。
和があれば洋鉄もあるの?と思われると思います。ございます。
洋鋼と称しますが、これらは簡単にご説明すると、刀を作る上で鉄を叩いている姿をご存知かと思いますが、あの様な叩くことを鍛錬(鍛える)と言います。その鍛えに適さないものが洋鉄で理由は硫黄の化合物を含んでいるのに対し和鉄は鍛えるごとに強度が増す性質を持ちます。
*和鉄=低温でつくられる
*洋鉄=高温でつくられる

では和鉄はどこで採取されるか御存知でしょうか?
和鉄は砂鉄からほんの僅かな量しか取れません。
この砂鉄は浜辺や川にある砂鉄ではなく、山から取れる砂鉄を使用します。

この砂鉄の成分量が最も優れているとされるのが中国地方の山林で赤目砂鉄が取れ、その砂鉄こそが刀剣の材料として最適な成分とし(前のコラムに記載した刀工の系統)最も古い歴史を誇る備前がそれに値することから、現在岡山県と記載すると分かりやすいと思いますが備前の刀剣王国をも呼べる古刀の歴史が確立されたと申し上げましたら御納得が行かれるかと思います。

 

ちなみに余談になりますが、ここ鎌倉も湘南地区の海岸でも現在、学生による玉鋼の研究をしているチームがあると以前、どこかで伺いました。

鎌倉の浜辺で磁石により砂鉄を集めている学生の姿がテレビでも放送されており「ここから刀を作れるか試しています」と、青春ど真中の笑顔が眩しかったです。是非、相州伝頑張ってください!

 

さて、話を戻して、この玉鋼とされる材料は砂鉄から僅かしか取れないことは上記に記載しましたが、この僅かな玉鋼に他の鉄を混ぜて刀を作ります。

この混ぜる配合(分量)は流派により異なる為、一律に○対○と記載はできません。

 

この先は刀を作る工程に入ってしましますので、まずは、ここまでとさせて頂きます。

 

*刀の作り方は古美術商のコラムですので、少々ニュアンスが異なる為、こちらは少し考えてからご案内させて頂きます。

author:古美術 希, category:余談, 18:21
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